死に直面した時、知る「生」


中学生の時のホームルーム。なぜか強烈に先生の話が残っています。

明治時代のあるキリスト教牧師の話です。当時は「耶蘇」と言われて嫌われていました。
彼はわざと人糞をかけられながらも、村を伝道して行きました。

あるとき崖から落ちて、気を失いました。気がついてみると、足は骨折し、とても這い上がれる力はありませんでした。

叫んでも誰にも届きませんでした。それでも彼は神に感謝して、委ねました。

数日が経って、空腹も限界に来た頃、カラスが柿をつついて、牧師の側に落としていきました。

飢えをしのぎながら、崖を眺めていると、サルが獣道を、駆け上がっていくのが見えました。彼はその道を辿って行けば、登れることを知りました。

サルに従いながら、やっと上の道まで戻っていきました。死に直面したとき、初めて「生かされている」事に気がつきました。

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私たちは自分で生きているようで、実は生かされているんですね。

心臓を自分の意思で止めたり、動かしたとできますか?体の全てが、生かされている事がわかった時、心も生かされている事に感謝できるのです。

PALAN

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