蓄音機の発明エピソード
(エジソンの話)
「質問ばかりで迷惑だ」「君の頭は腐っている」と先生達に言われ、エジソンは3カ月で小学校を退学した。
母はエジソンを否定せず、自宅で一緒に実験したり、辞書で調べたり、教師の代わりになるが、エジソンは12歳で事故にあい、耳が聴こえなくなった。
エジソンは落ち込むが「あなたは目も鼻もあるし健康だわ。努力を続けなさい」と母に言われ励まされた。
その後、エジソンは発明が評価され、22歳で発明家として独立した。母は喜んだが翌年、病で亡くなる。母の墓前でエジソンは世界を照らす発明家になると誓う。
実験に取り組むエジソンはある日、自宅のピアノに抱きついた。大好きなピアノの音色を聴きたくとも聴こえないので、頭をピアノに押し付け頭蓋骨に響く音色を聴いていた。
もっと聴きたいエジソンはピアノの蓋に噛みつく。歯が振動でガタガタ震え、頭に音が響き渡った。
涙を流しながらエジソンはピアノの蓋に噛みついて美しい音色を聴きたくとも続けた。エジソンは気が付いた。音が振動なら記録できるし、それを再生すれば音がなるはずだと。
エジソンは実際に取り組み30歳でようやく出来た蓄音機は世界中を驚かせた。その後も電球や撮影機などを次々と発明した。
発明王と呼ばれた。「母ほど私を認め信じてくれた人はいない。何があっても支えてくれた母がいたからこそ、今の私がある」
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