お母さんの普通
(中村 文昭 クロフネカンパニー社長)
家族でどこかへピクニックに行こうというとき、母は、もちろんはりきってお弁当をつくります。
そればかりでなく、朴の木団子(ほうのきだんご)というあんのはいった団子も必ずつくりました。しかも、その量が半端ではないのです。
いくら食べ盛りの男の子が二人とはいえ一家は四人、そんなにたくさん、いったい誰が食べるんだ?というくらいつくるのです。
おにぎり、唐揚げ、煮物、卵焼きと、お弁当自体が山のようにあるのですから、団子は当然、余ります。
すると母は、当然のようにパッと上着と脱ぐと、風呂敷代わりにして団子を載せて、全然知らない人のところに配って歩くのです。
「こんにちは。ええお天気やね。お団子どう?山歩きして疲れたやろうから、甘いもの食べて」と言うわけです。
そうして配りに行ったまま、母はしばらく戻ってきません。いっときのおしゃべりが延々と長引き、笑い声が上がり、さんざん盛り上がっているのです。
帰ってくるときは、持っていった以上に上着がふくらんでいました…お返しに、というわけです。
団子はすべてなくなり、みかんやほかのお菓子がザークザクです。隣村の家族も都会から来たカップルも、そこにピクニックに来ていた人はみな、すでに母の「友だち」になっていました。
こんなこともありました。父の運転する車ででかけたときのことです。
自転車で一人田舎道を走っている若者をみつけた母は、いきなりぽーんと父の肩を叩きました。
「お父さん、車止めて!早く、早く」
何事かと急ブレーキを踏んだ父をほったらかしで、母はするすると車の窓を開け、自転車の若者に声をかけました。
真っ黒に日焼けしたその大学生は、日本一周旅行をしているというのです。
父はもう、わかっているよという顔で笑っていました…そう、母のおせっかいの始まりです。
どこから来たの、から始まって、そんなやせた顔して何日もの間、ろくなものを食べていないのではないか、そのカバンの中身は何?
洗濯物がたまっているでしょう、などと、あれやこれやと話しかけ、結局、無理やり家に連れて帰ってしまいました。
遠慮する大学生をまずお風呂に入れ、荷物を取り上げるとパンツもTシャツも、全部洗濯し、ご飯を食べさてと、とことん世話を焼いたあと、彼は二晩泊まって旅立って行きました。
弁当までつくって送り出したので、別れ際に、大学生は感極まって泣いていました。そして、僕がそれまで見たこともない、分厚い礼状が届きました。
さすがに僕も、子ども心に不思議に思いました。うちのお母さん、どうしてそこまでやるのか…と。問うてみると、母はこう言いました。
「これがお母さんの普通なんや。おまえもある程度大きくなったら、人の世話にいっぱいならなあかんやろう。今、お母さんが人のお世話をしておけば、おまえもいつか、いっぱいお世話してもらえるやろ。順繰りまわって、当たり前のことや」
その言葉どおり、今まさに僕はいっぱいいっぱい、人のお世話になりっぱなしです。
だからこそ僕は、我が家で刷り込まれた「おせっかい」=「普通」という財産の大きさを改めて感じているところなのです。
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