おばあちゃんの宝物
(著書:この世で一番大切な日より)
両親は私が小さい頃に離婚しました。お父さんはお酒とギャンブルと借金を重ねて今ではどこにいるのかも知りません。
お母さんは早々に再婚しましたが私はまだ幼かったこともあり、新しいお父さんをお父さんと思うことができず、なかなか新しい家になじめないままでいました。
そんな私を引き取ってくれたのが千葉でひとり暮らしをしていたおばあちゃんです。
小学校に入学して以来、私はずっとおばあちゃんと二人で暮らしています。たまにお母さんと食事に行ったりもするけど、私にとって心を許せる家族はおばあちゃんだけでした。
おばあちゃんはとても気丈な人で「エリカは、ばあちゃんが守ってやるからな!」と励ましながら両親と離ればなれの私をまっすぐに育ててくれました。
私はおばあちゃんのことが大好きで毎年5月のおばあちゃんの誕生日には必ずお祝いをしました。
プレゼントを買うお金は持っていなかったから、ある年は近所の川原に咲いているシロツメ草をブレスレットにして贈りました。
おばあちゃんは「こんな派手なもんつけられんわ!」と照れくさそうにしていました。
またある年はチラシの裏にマジックで「エリカの肩たたき券」と書いたものを贈ると、おばあちゃんは10枚つづりのその券をうれしそうに眺めながら「ばあちゃんの肩はまだまだそんなに凝ってないわ!」と笑いました。
全然素直ではないおばあちゃんだったけど、そんなときはいつもよりずっとやさしい声で「エリちゃん、ありがとね」と言ってくれました。
高校に入ると私は近くのお弁当屋さんでバイトをはじめました。学校はアルバイト禁止で、担任の先生も私がバイトしていることをうすうす勘づいていたと思うけど、私の家の状況を知っていた先生は見て見ぬふりをしてくれていました。
バイト代が入るようになるとお金を使えるようになった私は、おばあちゃんの誕生日にひざ掛けやマフラーをプレゼントしました。
そんな時もおばあちゃんはいつも「ばあちゃんにお金なんか使わなくていいよ」と顔をしかめましたが、あとで必ずやさしい声で「エリちゃん、ありがとね」と言ってくれました。
高校を卒業した私は学費をお母さんに援助してもらって保育系の短大に進みます。でも…私は結局その短大を中退する事になります。おばあちゃんに認知症の症状が出はじめたからです。
おばあちゃんはすっかり物忘れがひどくなって、同じことを何度も口走ったり、外にでかけると帰って来れなくなることもたびたびで、やがて1人では放っておけなくなってしまいました。
保育系の短大は実習形式の授業が多く少し休んでしまうとあっという間に取り残されてしまいます。おばあちゃんの介護をしながら単位を取るというのは、私にとっては厳しいことでした。
また、おばあちゃんが診断を下された「アルツハイマー型老年認知症」というのは徐々に進行する病気だとわかったので、私はずっと一緒に暮らしてきたおばあちゃんと少しでも長く時間を共にすることを選びました。
おばあちゃんの真っ白い髪はぼさぼさに乱れました。目じりも下がって強気だった頃の面影はどこかに消えてしまいました。
1日のほとんどはベッドで横になったり椅子に座ったままお母さんにも家に来てもらって、2人でおばあちゃんを介護する生活がはじまりました。
そして迎えた73歳の誕生日。その日のおばあちゃんは比較的調子がよさそうで、会話の受け答えもわりとしっかりしていました。
私が「おめでとう。今日おばあちゃんは73歳の誕生日なんだよ」と声をかけると、おばあちゃんはすっかり弱々しくなった声で「そんなに生きたっけねぇ」とつぶやきました。
そのうつろな表情を見て私は胸が痛くなりました。「ねえおばあちゃん」「…はい?」「なんか…ほしいものとかある?」
おばあちゃんは天井を見上げました。「ほしいものねえ」そのままじっと黙ってしまいました
「ないですねえ」場がかえって重くなり、余計なことを言ったと後悔しました。
「…それじゃあ」すぐに話題を変えようとすると「そうそう」と言って、おばあちゃんはゆっくり立ち上がりました。
「なに?おばあちゃん、いいよ私、やるよ」タンスの引き出しの中をごそごそして、おばあちゃんが無言で取り出したのは1枚の紙切れ。
渡された紙切れを見るとなんだか古いチラシのようでした。その裏にはマジックで字が書かれていました。
「エリカの肩たたき券」
それはずっと昔、私が小学生の頃にプレゼントしたものでした。覚えていてくれたんだ。
「使えますか?」「もちろん」。私はこみ上げるものをおさえて、うなずきました。すっかり細く小さくなった肩。そっと揉みはじめると、おばあちゃんは気持ちよさそうに身をゆだねてきました。
私はその間、おばあちゃんと一緒に過ごした長い日々をゆっくりと思い出していました。
一緒に遊園地に行ったこと。近所の公園で花火をしたこと。こたつに入ってお茶を飲んだこと。おばあちゃんは向こうを向いたまま言いました。
「エリちゃん、ありがとね」それはいつものやさしい声でした。我慢していた涙がこぼれました。
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